地震とその後

遅くなりましたが、東北関東大震災の被災者の皆様には心よりお見舞い申し上げます。

また、私がこのブログにも、「父が岩手で一人田舎暮らしをしている」と度々書いていることもあり、いろいろな方から、父の安否を気遣うメッセージをいただきました。
お心遣い大変ありがとうございます。

父の方は、冬の間は横浜の実家に戻っておりまして、ちょうど3月12日にあちらに戻る予定としておりました。
地震発生が3月11日ですから、1日違い。
ひとまず、無事を確認し、ほっとしました。
心配して、メッセージを下さった皆様、ありがとうございました。

地震当日。
新橋の10階建てビルの8階にあるオフィスは、かなり揺れ、オフィス内のパソコン、モニター、本棚、書類などすべてのものが倒れました。
会社のメンバー全員で公園に一時避難。

オフィスの揺れが激しかったので、落ち着いた後も、オフィスに戻って仕事を・・・という気持ちにはなれず、簡単な片付けをしたのち、一部メンバーを除き解散としました。

同じビルでも、3階の人はそれほどではなかったと言っていたので、やはりビルの上の方が特に揺れたようです。

私は、歩いても1時間はかからない程度のところに住んでいるので、他のメンバーが無事に帰り、会社に戻ってくる者がいないことを確認してから家に帰りました。

会社の揺れが激しかったので、自宅もかなりひどいことになっていると覚悟をしていたのですが、我が家はいたって普通でした。
ルンバを動かすために、電子レンジの上においていた空ペットボトルが落ちていたくらいで、食器や本、テレビなどはすべて無事でした。

夜遅く家に帰るまで、テレビを見ていなかったのですが、東北の惨状は胸をしめつけられる思いです。
父の住む遠野は内陸なので津波の影響はなかったのですが、近所のみなさんがご無事かどうかも気になります。

テレビを見るだけで、何もできないのがもどかしいです。
ひとまず、WEBからできる募金をして、節電をして、あとは、普通に仕事をするしかないのですかね。

阪神淡路大震災のときは、大学1年生でした。
学校のテストが終わった後(地震後、2週間ほど経過してました)、ボランティアで避難所になっている中学校に行きました。
2週間経過していたので、落ち着いてはいましたが、まだ余震はありましたし、炊き出し、配給品の配布、トイレ掃除など、やるべき仕事はいろいろとありました。

学生だった頃にできたことと、社会人としてできることは違いますね。
今すぐにできることは、募金と節電以外に思いつかないのですが、父が住んでいることもあり東北とは縁もあるので、今後、何らかのかたちで、少しでも役に立てることがないか、考えてみたいと思います。